ずぶの学校新聞 no.10(2016.2 如月)

~やる気まんまんの卵~

 

 

やる気。やる気が出ない……

やる気は、年をとるごとにどんどん殺されていく。目の前のことに追われたり、嫌な経験をしたりして、習慣や徒労を覚え、やる気を出すことをあきらめていくうちに、封印し、忘れてしまう。

やる気こそが自分そのものだったはずなのに。

そして、自分を失って「物」になる。

どれでも同じ「物」に……

 

仕事は、誰がやっても同じだろうか?

 

そうかもしれない。

そうかもしれないけれど、それは「誰もが死ぬ」ことと同じ程度の事実ではないだろうか。誰もが死ぬわけだけれど、誰一人として同じ死に方をするひとはいないように、誰一人として同じ生き方をするひとはいないじゃないか。皆別人なのである。

 

あるひととあるひとは大差ないのだろうか?

 

そうかもしれない。大差ないということはひとを気楽にさせることもあるかもしれない。

そうかもしれないが、皆が同じ物を作って全く同じものができないように、

仕事だって全く同じ仕事はできないのである。微妙に違うということは、全く違うということではないのか。同じにしようたって最初から無理な話なのである。

 

やる気をもってその仕事に励むことは、うまくいけば周りの人をもやる気にさせるだろう。しかし、多くの場合一人傷つくという結末が待っている。結果的に、報われないことがほとんどである。そのつど、くよくよしちゃう。しかし、報われないからといってなんだ!と自分をまた奮い立たせる。 村上春樹さんのエルサレム賞受賞時のスピーチを思い出します。

 

「もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。」

 

魅力は常に「卵」の側にあるから。わくわくする物語は、可能性は、常に「卵」の側にあるから。

割れても割れても、やる気のある卵でありたい。

 

                              ぶん・え あかまつ みさき 

 (ずぶの学校校長。好きな食べ物はたまごやきとたこやき)