~春に絵を買う、飾る~
四月。初めて、絵を買いました。
以前より、大人になった気分。この新しい気持ちを春らしくさわやかに綴ってみたい。
今までも、好きな絵はいっぱいあったはずだ。なぜ、今までは買わなかったのだろう。お金がなかったから? いや、違う。同じぐらいの値段でも服や家具は買ってきたではないか……。
きっと自分がすることだと思っていなかったのだと思う。いいなと思っても、それ以上踏み込めない。自分のものとするには、何やら恐れ多い。縁が薄すぎる気がする。そうだ、ほかにもっと思い入れの強い、ゆかりの深い、ふさわしいひとがどこかにいるのだろう。自分ではない。
この「自分ではない」という気持ちにクエスチョンマークがつきはじめたのは、いつごろからだろうか。自分ではないというのは、勝手な思い込み、あるいは言い訳ではないか? 好きという気持ちに確信が持てない証拠ではないか? お金が、自分の真心を表現することのできる道具でもあるということは、ずぶの学校をはじめて学んだ事実である。本当に好きなら、行動で示すべきなのだ。示せないのは、どこかで自分の都合を優先しているからだ。言い訳ばかりで何もしない、甘えん坊のこどものようだ。お金は、自分の意志でメリハリをつけて使う。わが心に偽りなく。いいと思ったものにはたっぷりと。それが、ちゃんとした大人なのだ。私はそういうひとになりたいのだ。
さて、その絵が家にやってくる日を心待ちにしながら、もう飾ることを考えている。きっとすてきな部屋になるだろう。絵に見合った自分になれるように、努力したい。
近頃、顔の見える生活がしたいという気持ちが一層強くなってきた。私を支え、励ました、今は私の一部となったひとたちの顔、顔に囲まれた部屋で。恩師の写真。友人、生徒が作ってくれた「もの」を飾る。すてきな作家さんの絵を飾る。食べ物や、家具、本だってそうであるのが望ましい。私はたくさんの顔に見られている。見守られている。そうして存在している。戒めと励ましを同時にいただく。部屋という空間、生活という時間を、おろそかにせず慈しみたい。
あかまつみさき
(先生の写真を机の近くに飾りだしたのは魯迅の「藤野先生」を読んでから)