
~みなブラザー~
“Imagine there's no countries”(ジョン・レノン)
国境は人間が作った線だが、となると宇宙に人間が作った線でないものはない(認識できない)ことに気が付きだす。都道府県、市町村、地域、家族、男女、年齢、何もかも。自分と他人でさえも。ことばが線をひくのか。枠で囲むのか。フェンスや柵、壁には緊張感が漂う。線や枠は不安の表れのように感じる。確かに、あいまいな状態で居続けるのはしんどいし、いつも心をオープンにしておくのは勇気のいることである。
新しく出会ったひとと話をするときに、先入観で、自ら線をひいてしまっていることがあるかもしれない。しかし仲良くなるにつれて、その線が消えていく。あるいは、分かり合えず線が濃くなることもあるだろう。
自分の家族や国を大切にするのはいいが、その外にいる(とみなした)人を大切にできないとしたらがっかりする。自分も他人もだいたい同じだろうと思うところから、思いやりは始まる。自分に大切なものがあるように、他人にも大切なものがあるのだ。そこは是非とも尊重すべきところだ。やはり、イマジンが必要なのだ。
私の祖母は、よく隣の女性に話しかける。道端で、お店で、電車で。知らないひとであっても、一向に平気だ。相手も平気に応じる場合(それは多く同年代の女性であろうか)、二人には自他の区別などないように見受けられる。人を育てたり、人と別れたり、積み重なった歳月の重みか、想像力とは年々レベルアップする能力なのかもしれない。グランドマザーとは偉大な存在だ。
学校で開かれた人権問題の職員研修会のあと、若い先生たちで難しい議論を交わすことがあった。おのおの今までの自分の考え方について反省させられ、複雑な表情でいた。帰り際、チャーミングな女性の体育の先生が、ばっさり総括してくれたことばが今でも心に残っている。
「要するに、みなブラザーってことっスね!」
え・ゴッホ「囲いのある麦畑」
ぶん・あかまつみさき
(和漢の戦国時代ものにはまる。乱世もつらいよ。万物斉同。)