
~気まぐれ、雑でナイーブなライフワーク~
夏目漱石は、タイトルにこだわらないタイプだ。「吾輩は猫である」。なんともキャッチーなタイトルだが、漱石は当初「猫伝」にしようかと悩んでいたそうだ。猫伝て……。高浜虚子のナイスアシストで今のかたちに落ち着いた。よかった。
かの「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」は一見なんとも仰々しいタイトルののようだが、実際は正月から書き始めてだいたいお彼岸過ぎぐらいまでに書き終わろうと思ったからね……と序に書いてある。え、自分の目標?!
「門」だって、どんなに深い意味があるんだろうとひきつけられる、オーラ漂う題名だが、新聞連載のためにタイトルを催促されたので、弟子に頼んでつけさせたという。弟子たちは、急きょその辺にあった本のぱっと開いたページにある言葉にしようと相談し、「門」とあいなった。確かに、後半になって突如「門」がどーんと立ちはだかるのだが……。合わせてきた!!
そしてきわめつけは「こゝろ」。こゝろって、こゝろって、どんな小説もこゝろやん……!! しかし読んでみると濃密で繊細で、確固として揺るぎない。名作。どんな小説よりも「こゝろ」なのだった……じゃ、いっか……。
ただその中でピカイチなのが「坊ちゃん」だ。坊ちゃんは一人称小説だが、自分で自分のことを坊ちゃんと言っているのではない。実は坊ちゃんの育ての親である下女の「清(きよ)」が「坊ちゃん、坊ちゃん」と呼ぶからなのだ。清は、坊ちゃんという世間知らずで正直で甘いとみんなからはばかにされがちな「坊ちゃん」を「あなたはよいご気性です」と死ぬまで応援し礼讃し続けてくれた、たったひとりの味方なのだ。漱石は坊ちゃんをからかいながらも、おもしろがりかわいがり、懐を広げて認めている。不器用でまっすぐな若者(自分の一部でもあるのだろう)へのやさしいまなざしがあらわれた、実にすばらしいタイトルなのだった。もはやタイトルだけで泣ける域に到達している。
漱石の形式に対するこうした無頓着、まっすぐさ、ゆるさや雑さやダサさがとても好きです。柔軟で、のんびりとしていて、素朴。
わが身をふりかえると、何もかもゆるい。料理をするのでも、ぬいぐるみを作るのでも、授業をするのでも、文章を書くのでも、事前に細部まで計算することができない。作り方は一応見ることもあるが、基本的におかましなしの何でもありだ。だいたいのイメージや構想、モデル、キーワードを持って臨み、あとは興のおもむくままに身をまかせるのである。
やっているうちに新たな発見があったり、今までにないアイディアを思いついたり忘れていた過去の一場面を思い出したりすることが一番のやりがい。もちろん失敗続きなのだが、むしろ何の興もないままにワンパターンで定型のいつも通りになるほうがもっと失敗なのだ。
考えてから作ることができないから、作りながら、今ある素材の中で何をするのがおもしろいかを考えるのである。逆に何ができるかわかっているものは作る気がわかない。(単にめんどくさがりなだけかもしれない。)で、たいてい何かよくわからないものが完成(?)するが、命名するのは好きなので御用とあらばあとづけで。
そんなこんなで、私のライフワークである「ずぶの学校」は勝手に必要に迫られてさきづけしましたが、永遠に未完成のまま「考えながら作る場所」として、気まぐれにトンカンし続けたいと思います。タイトル(初心)に合わせていくことを忘れずに。
ぶん・え あかまつみさき
(ずぶの学校かるた部顧問になりました。ようやく百首覚えられるかも!)