ずぶの学校新聞 no.30(2017.10 神無月)

~お仕事は遊びと学び~

 

 

「一生をかけてやさしくなる! それだけは決まってるねん」

大学入試の面接練習をしていて、大学生活、そしてその先の目標を一緒に考えていたときに、そう言った生徒がいました。

 

す、すばらしい! 私が夏休みにあれだけ悩んだ「人生の目的」が、齢18にしてすでにはっきりしている! 感動しました。私もそれをそのまま使わせてもらいたいぐらい花丸。合格を確信しました。(その後「そんなん言うの先生だけやで」と言われ世のふしあなを呪った…)

 

夏休み前の段階では、「これこれの資格がほしいから、これこれの専門学校に行く」と言っていて少し心配だったその子が、大学に進路変更してだいぶん考えが変わった、というか、しっかりつきつめたのかなぁと想像します。(経済的・人的環境の恵みをちゃんと生かして)

 

どこまでやさしくなれるか、という戦い。「一生をかけて」と、資格とか、就職とか目に見えるゴールを据えず、やさしさに限界を設けていないところが大きくて豊かだと思うのです。

 

「ワーク・ライフ・バランス」という現代の標語について、鷲田清一先生は言っています。

 

「これがもし、仕事という公的活動と家族との私的生活とをうまく両立せよという意味なら、言われたくない。一企業の利益のためになすワークもまた私的であり、結局この標語は私的なものに専念せよと人に告げるだけだから。逆に、一市民としての活動に従事するかぎり個人のライフも公的である。そういう公的活動に個人としてもっと時間を割こうという意味なら、聞ける。」(朝日新聞・折々のことば 2016.8.13)

 

学校でも、ずぶの学校でも、一人一人との主体的な関係づくりは私にとっては大切で「一生をかけて」やっていきたいと思っている大仕事のつもりです。たとえその時かぎりであったとしても。

 

人間関係は家庭であれ、学校であれ、町中であれ、場所は問わないという考えです。より優先されるのが血ではなく、歴でもなく、現在の意志の強さによってでありたい。

 

それが「私」に対する意志の強さなら、私にとっては最も優先順位が高くなり、誠実な仕事をしたいと感じる。たまたまその場に居合わせた私にしかできない仕事。

 

しなくてもいいけどしたくてする仕事(仕事とはほとんどがしなくてもいいこと)を、私は表向き卑下して「趣味(遊び)でやっている」と言っていたけれど、他人に「趣味(遊び)」だとは言われたくない、ということに気が付いた。

 

最近は自分の中でも「仕事」の枠組みが変わってきたと感じます。それもこれも周りの方々に私のやっていることを「仕事」と認めてもらえたから持てた自信です。学校の外のひとと長く過ごすようになって、遊びでやっていることを授業に生かせるようになって、学校の学びに対する考え方も大きく変わってきたようです。

 

九月は「美しい星」の映画を観たことから、学校で学んできた方法や遊びで描いてきた絵を生かして、学校の外で授業をしてお金をいただきました。これは、遊びでしょうか、仕事でしょうか。私が「仕事」という自信を持つための応援をしていただいたことに感謝です。

 

 

あかまつみさき

(楽しそうに遊んでいることが私の仕事)