ずぶの学校 文集

ずぶの学校新聞 no.26(2017.6 水無月)

~おさなき日の遊び一覧~

 

 

小学三年生の時に、制服のない、勉強の厳しくない、のびのびした学校に転校しました。私の意識、記憶はそのあたりから鮮明になってきます。広い運動場に、遊具はたくさんありました。今は見ぬ「かいせんとう(回旋塔…こんな字だったのか)」「回転ジャングル」は大人気。休み時間になると走って取りにいかなくてはなりません。サッカーやドッヂボール、鬼ごっこ、ゴム跳び(これはほとんどやらなかった)、メンコ、トランプなどその時流行のメジャーの遊びにも参加していました。

 

しかし少人数(一人~四人程度)でやるオリジナル遊びがもっと楽しかったのです。印象に残っている遊びを並べてみようと思います。

 

・ポラロイドカメラで撮影会、スターごっこ

・のち雑誌、写真集作り

・ワープロで作家ごっこ(一人遊び、作文を褒められてその気になって)

・ワカメハウス作り(オリジナルシルバニアファミリー自分たちが登場)

・ぬいぐるみ作り・着せ替え

・楽器演奏・作曲録音(カセットテープでアルバム作り)

・ラジオ録音(ワープロで脚本を作ってから)

・物語の録音

・漫画・お絵かき

 

 今思えば、自宅には遊び道具がいっぱいありました。ポラロイドカメラやワープロは父が職場からもらってきたもので、カセットレコーダーはお年玉で購入、わら半紙、布は山盛りあったし、電子ピアノやいくつかの楽器も。一人では使いこなせぬまま飽きて放置してしまう(飽き性)のですが、遊びに来たともだちが上手に使いこなすと、とたんに魅力を感じたものでした。ともだちはそれぞれにいろんな能力を持っていて、絵がうまい子、楽器がうまい子、声優がうまい子、(人形の)服を作ってくれる子、そんな技術をまのあたりにするのも、自分がちょっと思いついた世界が思わぬ形で表現されていくことも、嬉しかったものでした。

 

 今でも耳を澄ませば、いろいろ思いつくのですが、根気も技術もないし、実現に至るにはともだちの力が必要なのです。そんなわけで、今回雑誌(KAMELO「らくだ」―例によって自分登場)ができたことは感激でした。最近は「絶対できない」と避けていた、作曲、アルバム作り熱が復活。これもこどもの私はおじけづかずにやっていたことを思い出し、いつかライブをと夢見ています。(まずは授業でやるかも)

 

 

 

あかまつみさき

(「憧れ」がごっこ遊びにつながるみたい、秋山氏を目指しています)

 

 

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ずぶの学校新聞 no.25(2017.5 皐月)

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ずぶの学校新聞 no.24(2017.4  卯月)


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ずぶの学校新聞 no.23(2017.3 弥生)

~アロハ進路相談~

 

おととし地域情報誌のお手伝いを始めてから、いろんなひとにお話を聴いて、文章にまとめるということを始めました。現在は地域情報誌は休刊しましたが、ずぶの学校校長のライフワークとしてこの活動は続けていきたいと思っています。そのひとの人柄が伝わるようなエピソードやお言葉(人生哲学)を記事にするのは楽しい。私は「ライター」としてではなく、「自分」のままで自分が感動したことを中心に書いていきたいと思っています。これは、「どんな人からでも学ぶことがある」という私の考えをかたちにできるものの一つではないかと思い当たるようになったのである! おや?

 

インタビューをするときは、だいたい過去・現在・未来の順に質問しているのですが、二月に高校受験に向けた小論文の相談に乗っていた時に気が付いた。あ、私は小論文でも、インタビューで訊くことと同じことを訊いてる。それを自分で書けるようにするんだ……。そりゃそうか。面接で訊かれるのも書かされるのも、そのひとが今までどう生きてきたか、そして現在どうしたいと考えているか、将来の展望。その表現のしかた、その言葉こそが、その人の人柄だものな。

 

そこにきて、ようやく私がなんとなくしてきたことと、これからしたいことがぴーんとつながった気がしました。私は学校でとりあえずする模試の偏差値を基準にした学校選びには反対。出された選択肢の中から選ぶのではないと思う。やはり自分がなんとなくしてきたことを、自分の言葉で一度振り返ることが必要だ。過去を思い出して、具体的に表現することでより現在の自分の考えが確かなものとなり、力強い次なる一歩が踏み出せるようになるのだ。

 

「自分を語る、自分の言葉を持てるようにすること」が、私の考える「進路指導」だった。私ができるのは相手の鏡になって問いかけることだった。受験というイニシエーション(通過儀礼)の本来の意味だと思う。これは、受験や就職活動に限ったことではないのかもしれない。むしろ、その先の時間の方が長い。いつになっても、どう進むのか迷うことはたくさんあるだろう。私も(が?)。

 

二月、アロハシャツを人生で始めて着ました。似合うんじゃないかと言われて、自分でも似合う気がしました。急に着たいと思いました。なんで今までスルーしてきたんだろうとさえ……。

あわててアロハの意味を調べてみると、

「アロハとは生きて行く過程、お互いに愛情と敬意を持つ気持ちを現す言葉です。※」とあって、これだ! と思いました。

上意下達感のある、お堅い学校用語「進路指導」を、南国ムードでカジュアルダウンし、数字による窮屈な人生設計ではなく、もっとゆるくのんびりといこう、というおおらかな愛をこめられるように「アロハ進路相談」と名付けました。自分の気持ちにぴったりで、お気に入りさ。木曜17時から宝塚清荒神のテラコでやっています。

 

アロハとは言われていない事を学び、見えない事を見、知ることが出来ないことを知ることですリリウオカラニ女王

(※http://www.to-hawaii.com/jp/alohanoimi.php

 

 

ぶん・あかまつみさき

 (普通の作文は「イロハ進路相談」? それでもやっぱり進路)

 

 

 

 

 

ずぶの学校新聞 no.22(2017.2 如月)

~ずぶのしろうとであること2 文学フリマ編~

 

 

授業中「恋と愛の違いって何?」と生徒に聞かれ、とっさに「アマチュアとプロみたいなもんちゃう?」と口走ったのは、ずっと「ずぶ」について考えていたからだった。お得意のこじつけでいえば、確かにそうといえなくはない。一時でも燃え上がる恋の気持ち(熱意)はアマチュアの心境によく似ている気がする。好きでたまらない、未熟で不器用で人間くさい、損をしたってする一回きりの賭け。プロは、もっと確実だ。継続によって黙々と技術を磨き、完成度の高い作品(結果)を残す。生き残るため、継続するためには、損はできないし、相手の出方で一喜一憂してばかりもいられない、孤独でゆるぎない意志。それは永遠に目標かもしれない。

 

一月に、和亀を携えて「文学フリマ京都」に出店した。会場内の熱気はすさまじかった。文学を愛する思いは、出店者もお客さんも同じ。お客さんの積極性は、学ぶ気満々の生徒のようで、こちらにもどんどんエネルギーがみなぎってくる。みなブラザー!

 

いつにないことだと思った。与えるもの、与えられるものの構図がはっきりしているショッピングモールや百貨店とは違う。快適で便利でわかりやすく用意された環境で、与えられるものは受け身で流されるままに買ってしまう。それが当たり前になってくると、与えられるものは何の苦労もなしに、その環境が整っていないと文句をいうようになるのである。お金を支払う側は相手にプロ(完璧)であることを強い、お金を受け取る側はプロであることを自分に強いるのである。しんどい。

 

文学フリマでは、与えるものも与えられるものも、どちらも媚びないし、嘘をつかないし、真剣だ。自分の好きなものを売り、自分の好きなものを買う。あるいは熱意を売り、熱意を買うともいえる。お金を支払う側も相手にプロであることを強いないし、お金を受け取る側もプロであることを自分に強いない。自由で寛容な社会。ここでは双方がずぶでありながら、双方が積極的に社会に参加している。プロから与えられるのを待っているずぶはいない。待っていても何も見つからない。変わらない。ひとりひとりが考え、選択し行動している。あふれる「ずぶ力」をひしひしと感じる。民主主義社会だ。

 

教室もそうあってほしいのだが。今はやりの(?)教員アンケートが許せない。いや、高校生のときにやらされたときから、私は憤っていた。

 

生徒が教員をひとりずつ評価するのである。しかも質問がむなしい。「声は大きく、聴きとりやすいか」「説明はわかりやすいか」誰が考えたんだろう。声が大きく、説明がわかりやすいのがいい授業だという安易な考えを生徒に植え付けてしまうじゃないか。教員なら完璧である「べきだ」、教員なら生徒の役に立つ「べきだ」。いい授業かどうか、何を受け取るかは生徒の自発性によるし、個人的なことで、ひとりひとり違う。そして、それはすぐにわかるものでもない、十年、二十年、三十年、それ以上……かかるかもしれない。

 

そのようなことをさせる(生徒はやらされている)ことによって、生徒はますますお客さん化し、教員はますます店員化する。教員同士もお互いを数字でジャッジしあい、競争させられるように仕向けられる。

 

先生は好きなことを話し、生徒は好きなことを聴き取ればいい。何か困ったことやおかしいと思うことがあるなら、先生に直接聞けばいいし、先生は直接生徒に応えればいい。そういうリスクや苦労をともなう行動を自分で取れないなら、文句は言えないだろう。

 

そもそもアンケートをしないと生徒のことがわからないなんて、数字にしないとわからないなんてダサすぎる。(しかも生徒だって適当に書いている数字なのに、それを信じるのか?)それが教員のプロの世界なんだろうか。

 

 

 

ぶん・あかまつみさき

(五月に文学フリマ東京に出ます!東京進出!遊びに行きたいだけ!)